No.122 | №218 | 千葉県:163 |
登城日 2009.8.16(日)
いすみ鉄道大多喜駅から、本丸跡に行く途中にの徒歩10分程度のところにある大多喜高校へ。
大多喜高校は、大多喜城二の丸跡となり、そこに唯一の現存する二の丸御殿薬医門があります。
また、大井戸も残っており、現在も水が枯れることなく存在しています。
井戸の脇から、徒歩で登れる登城道があり、5分程度で本丸跡まで登ることができます。
本丸跡には、天保6年(1835年)の絵図の御三階櫓を元に再建された天守が建っていますが、本当に天守が存在したのかは、結論が出ていない模様。
とは言うものの、こちらは千葉の猪鼻城と違い、本多忠勝を藩祖とする大多喜藩の城であったことから、何らかの建物は存在していたのは明らかですので、この天守は個人的には有りかなと思います。
山頂に建つ、天守を眺めるのは良いものですしね。
登城日 2019.1.19(土)
続100名城に選定されたこともあり、スタンプを押印するため再登城しました。
前回は模擬天守でもある博物館に入りませんでしたが、今回はゆっくり博物館の展示物を見学することができました。展示物の中に今後の城めぐりの参考となる千葉県の城址図や上総地区の各自治体の案内板が提示されていて楽しめました。
なお、大多喜町の案内板に近くに根古屋城が記載されていたので、予定はしていなかったのですが、この後登城しています。
入城料
無料(博物館は200円)
スタンプ台メモ(2019.1.19現在)115城目
中央博物館分館2Fに置いてあります。
城データ
よみがな | おおたきじょう |
指定 | 千葉県史跡 |
江戸300藩 | (嘉永年間)大多喜藩 2万石 松平正和 |
別名 | 大滝城 |
城地種類 | 平山城 |
天守 | 不明、再建天守(コンクリート造) |
築城年代 | 大永2年(1521年) |
築城者 | 真里谷信清 |
主な城主 | 真里谷氏、里見氏、本多忠勝、本多氏、阿部正次、青山正俊、阿部正令、阿部正春、稲垣重富、松平氏 |
廃城年代 | 明治4年(1871年) |
遺構 | 土塁、空堀、井戸、曲輪、薬医門 |
現状(案内等) | 本丸跡(再建天守(中央博物館分館)、土塁、空堀)、大多喜高校(二の丸、井戸、薬医門(現存)) |
関連wiki | 大多喜城 大多喜藩 |
攻城団 | 大多喜城 |
写真 2009.8.16登城
写真1:大多喜城遠景 | 写真2:大多喜城薬医門 | 写真3:薬医門解説板 | 写真4:大井戸 |
写真5:復興天守(御三階櫓) | 写真6:本丸土塁 | 写真7:二の丸の登城路 | 写真8:本丸からの眺望 |
写真 2019.1.19登城
大多喜城址
城関連自治体の案内板等
写真21:大多喜城下案内 | 写真22:一宮町案内 | 写真23:長生村案内 | 写真24:長柄町案内 |
写真25:長南町案内 | 写真26:睦沢町案内 | 写真27:白子町案内 | 写真28:勝浦市案内 |
写真29:茂原市案内 | 写真30:御宿町案内 | 写真31:いすみ市大原案内 | 写真32:いすみ市岬町案内 |
写真33:いすみ市万木案内 | 写真34:大多喜町案内 | 写真35:千葉県の城 | 写真36:房総の大名 |
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